須藤瞳はほとんどの男子生徒にとって、現在進行形で憧れの的だった。容姿端麗、そして性格もいいとくれば、人気が出ないわけがない。
 それは今も昔も変わることはなく、彼女が彼女である限り、瞳の人気は不滅だろう。
 …そんなわけで、その瞳は渡会月哉と両思いの関係になっていることに、薄々感づいている者はいるが、事実として知っているのはごく一部しかいない。
 二人がそのごく一部の親しい人間にしか話していない事もあり、したがって今も密かに瞳に想いをよせている男子生徒の数は、両手で五回数えてもまだ足りないに違いなかった。

――ただし、その須藤瞳本人に、その自覚があるかどうかは別として。







彼と彼女の関係 3







「あ・ホラ、また」
「え?」

 突然の言葉に、瞳は小首をかしげた。隣には、にやにやと笑っている加奈子がいる。
 結局加奈子は、本鈴ギリギリで学校に来た。時々咳をしているが、昨日よりは楽そうだ。

「さっきすれ違った一年生。瞳のこと、あっつーい視線で見てたわよ。気がつかなかった?」
「えっ。…そう、だったの?」
「そうだったのよ。瞳って、そーいうのには鈍いわよね。他のことには鋭いのに」

 ビシッと指摘されてしまい、言われてみればそんな視線を感じたかもしれない、と瞳は肩をすくめた。
 瞳は人見の巫女だ。気にしていればどこで誰が自分を見ているのかが判ってしまう。しかしそれをしないのは、普段日常生活ではその必要がないからだ。
 それにその類の視線は昔から受けているので、慣れてしまったというか、いちいち気にしてはいない。

「…やっぱり、渡会がいるもんねぇ?」
「…………カナ。私をからかうのそんなに楽しい?」
「そーりゃ楽しいわよ。今までどんなにかっこいい…って、そりゃ渡会はとびぬけてるけど、どんな男子に告白されても誰とも付き合ったことのなかった瞳が、晴れて両思いになったんだから!」

 教科書やノートを抱えた手とは別の手で、ぐっと拳の握り締め力説する加奈子に、瞳はただただ苦笑するしかない。
 思えば加奈子の言うとおり、月哉と両思いにならなければ、今頃瞳は彼氏いない歴17年の記録更新をしていただろう。
 それは良いことなのか悪いことなのか、瞳には少し判らないでいた。






 次の授業は音楽だった。
 ソプラノとアルト、テナーとバスに分かれて座るので、瞳と月哉の席が近くなるということはない。
 ちなみに瞳はソプラノで、月哉はバスだ。しかし月哉には、バスの音程は少しきついのではないだろうかと、瞳は音楽の授業のたびに思っている。

 …そういえば、二学期にはあの中に月留がいた。ほんの、一時期ではあったけれど。
 あのときは、そう、月留は瞳を王子だと勘違いをしていて、瞳は彼に凄い目で睨まれたのだった。
――けれど、彼はもう、地上にはいない。

 音楽教師の男子の指導が終わって、女子の指導にうつる。
 瞳はいったん閉じていた楽譜をひらき、ピアノの音にあわせて歌い始めた。




 女子の華やかな歌声が音楽室に響きはじめたのを聞き、月哉はほっと息をついた。
 人数の関係で仕方なくバスを歌ってはいるが、テナーの方が歌いやすそうだ。バスだと月哉には少し辛い部分がある。
 おかげで少し、喉が辛い。
 喉に薄っぺらい何かが貼り付いているようで、少しばかり不快に思う。

 もう一度息をつくと、気を緩めて少し丸めていた背中を伸ばす。
 この音楽教師は歌う姿勢に厳しく、背筋を伸ばせだの口は縦にあけろだの、耳にタコができるほどに言うのだ。
 それらは確かに歌を歌うための姿勢として正しいものではあるのだが、いかんせんそれを言う回数が極端に多い。今歌っていないからといって、『正しい姿勢』を崩していると後で口やかましく言われる。
 授業態度の面で成績にもひびくので、大げさに崩している生徒はあまりいないが。

 背筋を伸ばして、ピアノを弾く中年の女教師を見る。
 口喧しい教師ではあるが、ピアノや彼女の歌声は文句なしに上手いと思う。
 そして、歌っている女子を見る。
 今、アルトのパートにメロディーはなく、アルトのパートの女子は楽譜を目で追っている。

 更に視線を移すと、女子達の端に瞳がいた。
 月の王国の血を引く彼女の澄んだ歌声が、月哉の耳には一際目立って聞こえる。
 一応他のソプラノの女子も歌っているのだが、瞳の歌声以外はかすんで聞こえてくる。


(……あ、今少し間違えた)


 慣れないと少し難しいメロディーだったのか、焦った表情で瞳が楽譜を見ている。
 だが暫らくすると楽譜から視線を上げて、前を見つめた。

 ピアノの音色が止まり、もう一度BからDまで、と教師の声がかかる。その声に、女子達は一斉に楽譜のページを戻る。
 再び同じ伴奏が流れ始め、Bに入る部分で息を吸う。
 次の瞬間にはソプラノとアルトのハーモニーが音楽室を支配して、雰囲気が華やかなものに変わる。

 女子の歌声に合わせて、頭の中でバスのメロディーを歌っていると、先ほど瞳が間違えた部分が近づいてきた。
 楽譜から顔を上げて瞳を見ると、間違えないためにか、真剣な目つきで瞳の目が楽譜を追っている。
 瞳の歌声に意識を傾ける。
 確かに慣れないと間違えてしまいそうなメロディーが、流れるように過ぎていく。
 問題の部分が終わると、ホッとした表情で瞳は顔を上げた。その様子に、つられてホッと息を吐く。

 思えば、暇さえあればいつも自分の視線は瞳を追っている。
 さすがに授業中は瞳の席は斜め後ろにあるので、わざわざ後ろを向いてみることはないが。

 ふと周りに座る男子を横目で見やる。
 女子のほうを見ている男子の多くが、瞳を見ているような気がしてならないのは、本当に気のせいだろうか――


 先ほどとはまた違った意味で、月哉は溜め息をついた。