Nightmare or …… 












 ――何を逃げているんだい?







 声がする。

 誰?

 誰の声だろう?




 気が付くと、僕はそこにいた。

 暗闇の中。


 いつ、どうやって来たのかは判らない。

 ただ、そこにいた。


 ……チリ、と、左の手の甲が疼く。







 ――何故逃げているんだい?








 綺麗な声。

 澄んだ声。




 けれど…いやな声。

 男のような。

 女のような。

 子供のような。




 知らない……けれど、確かに知っている、そんな声。

 誰だ?







 ――何故、君はそうして逃げるんだ?







 また、声が聞こえる。



「…別に僕は、逃げてなんかいない」








 ――じゃあ、何故君はそこにいる?

 ――何故君は、地上にいるんだ?

 ――何故君は、『自分』を隠しているんだ?









 声と同時に、僕の目の前に僕が現れる。


 『紫苑』の自分と。
 『月哉』の自分。


 どちらも、確かに自分なのだけれど。

 でも、決定的に、何かが違う。
 ――何かが。








 ――何故、自分を隠す?

 ――そんな必要ないだろう?

 ――君は君であって、君でしかない。

 ――紫苑も月哉も、君。でもなぜ紫苑を隠す?









「…『紫苑』はもう、僕の名前じゃない
 今の僕の名前は、『月哉』だ。紫苑の名は、昔に捨てた」



 義父がつけてくれた、名前。

 地上で暮らすための、名前。

 瞳が呼んでくれた、名前。


 だから、ぼくの真名は、月哉だ。

 『紫苑』は、昔の自分。


 僕であって、僕じゃない。








 ――それでも、君は紫苑だよ。

 ――月の、影の王国の第七王子、紫苑。

 ――それが、君だ。









 ………………。


 ・・…お前は、誰だ?








 ――僕は僕さ。

 ――君が君であるように。










 いつのまにか、目の前の二人の『僕』は、消えていなくなっていた。

 変わらず、闇の中。


 チリリ、と手の甲が疼く。





 紫苑。


 僕の、昔の名。

 母がつけた名前。

 その昔、僕が捨てた名前。





 十三年前。


 僕は、母に連れられて、この地上へとやってきた。

 この地上で、逃げ、隠れ、そして住まうために。












「…本当に、いいのか?」

 艶やかな長い黒髪の美女が、目の前の男に問うた。

「そのほうが、そちらとしても都合がいいでしょう?」

 男が、飄飄とした笑みを浮かべてかえす。

「…命の保証は、ないぞ」
「今までだって結構危ない橋渡ってきたよ、普通の人に比べればね」

 …さら。
 女の指が、傍らに眠る幼子の額を撫でる。
 女に全てを預けて、安心しきって眠るその表情かおは、微笑んでいるように見える。

 …しばらくの間、女は子供の前髪を掻き分け額を撫でていたが、やがて口を開いた。

「…渡会紫苑じゃ、語呂があまり良くないな。何か良い名前はないか、有宏」

「そうだねぇ。……そうだ、月哉っていうのはどう? ――渡会、月哉」


 女の顔に、笑みが浮かんだ。












 月哉。

 義父がつけた名前だった。


 義父が好きだった。

 実の父親である月の王なんかよりも――それ以前に会った事すらもないのだが、もっとずっと。

 今も、自分の父親は、彼だと思っている。

 残酷な、月の王ではなく。












「君の力が必要だ。僕らの力だけじゃ、奴は倒せない」

「一緒に、来てくれ」

「月の、影の王国に」


 どこか、王子の自分と似た雰囲気をもった少年が、真剣な表情で訴える。


 冗談じゃない、と思った。

 何故、再び自分が月へ戻らないければならないのだろう。

 冗談じゃなかった。











 ――ほら、琥珀が一緒に来てくれと言っているよ。

 ――一緒に行ってあげたらどうだい?

 ――月は君の故郷だろう?

 ――琥珀は君の弟だろう?

 ――白藍だって、君の兄だ。兄弟を助けようとは思わないのか?










「冗談じゃない。

 僕には関係ない。月留も、白藍も、ただ血の繋がりがあるだけだ。
 …奴の、血が。

 わざわざ危険を冒してまで、あの二人を助けようだなんて、僕は考えないし、思わない」









 ――……随分と冷たいんだね?

 ――さすがは、あの月の王の血を受け継ぐ王子。






「……僕と奴を、一緒にするな」



 言葉を、絞るように吐き出す。

 ……胸糞悪い。


 誰が、あんな。












 ――行ってあげなよ。

 ――助けてあげなよ。

 ――兄弟だろう? 家族だろう?

 ――忌わしい、血塗られた王家に終止符を打とうとは思わないかい?








 「――!?」




 変わらず、何処からともなく響く声。

 言葉の端に含まれたその意味に、愕然とする。









 ――決めるのは君だ。

 ――名前も身分も住まう場所も関係ない。

 ――決めるのは自分自身。君自身さ。

 ――なのに、









「……、黙れ」









 ――なのに、君はただ。

 ――逃げているだけだ。










「黙れ」








 ――そうやって、きみはまた関係ないフリしてれば――








 真っ直ぐな言葉。
 それは心を切り裂く刃のように。

 僕の心に突き刺さる。




 関係ないフリじゃなくて。

 逃げていただけだった。










 ――いつまで、君はそうして逃げている?











「黙れ……ッ!」










 左手の甲が、激しく疼く。









「黙れ、―――――――!」



























「……哉様、…月哉様!」

「――――――……」



 …気が付いたら、目に映っていたのは果てしなく暗い、闇ではなく。
 心配そうな表情の飛葉と、見慣れた自分の部屋の天井。

 その状況に、僕はただ深く息をついた。



「……僕は、どうしていた?」

 上半身を起こすと、未だに不安げな顔の飛葉に訊ねる。

「うなされていたご様子でした。…・・よろしかったでしょうか?」
「そうか。……嫌な夢を、見ていた。すまない」
「いえ。…では、私はこれで」
「ああ」


 スッと、次の瞬間に飛葉の姿が消える。影の中に戻ったのだ。





 息をつく。

 無意識のうちに、息を殺していた。



「……嫌な夢、か」


 僕が人見であったなら、これは何かの予知夢だったろう。
 けれど、僕は人見ではなく、――月の王の血を引いている……



 ベッドから降りて、窓に近づく。
 締め切っていたカーテンを、開いた。

 ――見えるは、白い月。








「……僕に、どうしろというんだ―――?」





 月を見上げて、ただ、一言。


 僕は、呟いた。

















とがきという名の駄文

これ実は結構前から書いてて止まってた奴なんですけれど。 
無理に終わらせてみましたっ(ぉぃ 
もう、何が書きたかったのか… 
とにかく悪夢を見る月哉、とゆことで(汗) 

カヤさんと有宏さんの会話のところはお気に入りだったりします。

 
2002.9.25